たくろう・きむらバンドは松山大学でローカルスターに!高校は松山中央高校でバンド活動

お笑いコンビ「たくろう」のきむらバンドさんは、 愛媛県松山市で育ち、松山中央高校から松山大学へ進学した“地元密着型”の芸人です。

高校ではバンド活動に熱中し、大学では落語研究会との出会いをきっかけにお笑いの才能が開花。

学生時代の経験が、現在の軽快なツッコミや独特の世界観につながっています。

この記事では、 小学校〜大学までの学歴と、各時代のエピソードをわかりやすくまとめて紹介します。

たくろう・きむらバンドの学歴まとめ

たくろうのきむらバンドさんの学歴は、愛媛県立松山中央高等学校を卒業後、松山大学に進学しています。

小学校:非公表(愛媛県松山市の小学校)
中学校:非公表(愛媛県松山市の中学校)
高校 :愛媛県立松山中央高等学校
大学 :松山大学(中退)

 
詳しくみていきましょう!

たくろう・きむらバンドの大学は松山大学

たくろうのきむらバンドさんは、松山大学に進学しています。

松山大学の偏差値・特徴

松山大学の外観画像

松山大学は、中四国私大最大級の約100万冊の蔵書を持つ図書館や、最新機器を備えた薬学部棟など、充実した施設が特徴です

松山大学
偏差値 :35.0〜40.0
所在地 :愛媛県松山市文京町4番地2
学校種別:市立

松山大学出身の有名人

松山大学出身の有名人は以下のようになります。

・青野令(スノーボード選手)
・大下香奈(歌手)
・土佐礼子(元マラソン選手)
・川上裕子(サッカー選手)など

きむらバンドの大学時代のエピソード

ケーブルテレビに特集される“ローカルスター”へ

大学2年生の頃には、地元・愛媛で若手芸人がほとんどいなかったこともあり、きむらバンドさんは 地域のケーブルテレビに特集されるほどの存在 に。

学内だけでなく、松山市内でも「面白い大学生がいる」と噂になるほど注目を集めていました。

落研を復活させた立役者

当時、松山大学の落語研究会は廃部寸前。部員も少なく、活動も縮小していた時期でした。

しかし、きむらバンドさんが加入してから状況は一変します。

  • サークルの全国大会で結果を残す
  • 新入生が興味を持ち、部員が約20名まで増加
  • 部費も増え、活動が活発化

きむらバンドさんは、落研の「基礎を築いた存在」として、今でも語り継がれるほど大きな影響を与えています。

授業よりも“お笑い”に没頭した大学生活

一方で、大学生活はほとんど落研中心。

授業にはほとんど出ず、ネタ作りや舞台経験を積む日々が続きました。

その結果、 卒業式の日に中退が決まる という、きむらバンドさんらしいドラマチックな展開に。

しかし、この時すでに「芸人として生きていく」という覚悟は固まっており、大学中退後はNSC入学を目指してフリーターとして働き始めます。

たくろう・きむらバンドの高校は松山中央高等学校

たくろうのきむらバンドさんの出身高校は、愛媛県立松山中央高等学校です。

松山中央高等学校の偏差値・特徴

松山中央高等学校の外観画像

愛媛県立松山中央高等学校は、「創立記念凧揚げ大会」や「CENTRAL MARATHON(セントラルマラソン)」など、特徴的な学校行事が盛んです。

愛媛県立松山中央高等学校
偏差値 :56
所在地 :愛媛県松山市井門町1220
学校種別:公立

松山中央高等学校出身の有名人

松山中央高等学校出身の有名人は以下のようになります。

・増谷幸祐(プロサッカー選手)
・青野大介(元プロサッカー選手)
・山村路直(元プロ野球選手)
・結野亜希(アナウンサー)など

スポーツ選手が多いようですね。

きむらバンドの高校時代のエピソード

きむらバンドさんは、愛媛県立松山中央高校で バンド活動に全力を注いだ高校生活 を送っていました。

当時組んでいたバンド名は「サディスティック・ジョーカー」

放課後は毎日のように音楽室やスタジオに集まり、ギターやベースの練習、オリジナル曲づくりに没頭していたそうです。

“音楽で食べていきたい”と思うほど本気だった

高校3年生になると、進路を決める時期に差し掛かります。

周囲が大学進学や就職を考える中、きむらバンドさんは 「お笑いよりも、まずはバンドで売れたい」 という気持ちが強くなっていきました。

ライブハウスに出演したり、文化祭で演奏したりと、音楽活動は本格的。

仲間と音を合わせる瞬間が何より楽しく、将来を音楽に賭けたいと真剣に考えていた時期でもあります。

松山中央高校ならではの“熱い学校行事”が人柄を育てた

松山中央高校は、

  • 創立記念凧揚げ大会
  • CENTRAL MARATHON(セントラルマラソン)

など、ユニークで活気ある学校行事が多いことで知られています。

きむらバンドさんもこれらの行事に参加し、クラスメイトと協力しながら取り組むことで、人を楽しませることが好きな性格がさらに磨かれていったと考えられます。

“笑い”はまだサブ武器だった高校時代

中学時代から「笑いでいじめを回避した」というエピソードがあるきむらバンドさんですが、 高校時代はあくまで 音楽が主軸

とはいえ、明るいキャラクターと軽快なツッコミで、クラスの中心的存在だったことは間違いありません。

友人の間では「きむらがいると場が明るくなる」と言われるほどで、 この頃の経験が、後の“ツッコミ担当”としての素質につながっていきます。

大学進学を選んだ理由

音楽で勝負したい気持ちがありながらも、最終的には松山大学へ進学。

「地元で音楽を続けながら、もう少し自分の道を探したい」という思いがあったようです。

この選択が、のちに落語研究会との出会いにつながり、芸人としての道が開けていくことになります。

たくろう・きむらバンドの中学校は非公表

たくろうのきむらバンドさんの出身中学校は、公表されていません。

出身地の愛媛県松山市内の中学校を卒業しているのではないでしょうか

きむらバンドの中学時代のエピソード

中学生時代のきむらバンドさんは、すでに「人を笑わせることが得意」という個性が芽生えていました。

しかし、その背景には、ただ明るいだけではない、生きるための知恵として身につけた“笑いの力”があります。

◆“笑い”でいじめを回避した日々

きむらバンドさんは、中学時代にいじめの標的になりかけたことがありました。

そのとき彼が選んだ方法は、 「とにかく笑わせて、懐に入る」 という、独自の処世術。

危険な空気を察知しながら、うまく場を和ませていったそうです。

本人はこの経験について、

「笑いって、生きる術でもあるんやって無意識に叩き込んでた」

と語っています。

この言葉からは、ただの明るいキャラではなく、周囲をよく観察し、どう立ち回れば平和に過ごせるかを考えていた“賢さ”が伝わってきます。

小学校から続く“人気者気質”が中学でも発揮

きむらバンドさんは10歳まで鬼北町で暮らし、同級生が10人ほどという少人数環境で育ちました。

少しでも面白いことを言えばすぐに人気者になれる環境で、自然と「笑いで場を明るくする」力が身についたと考えられます。

松山市へ転校した際も、初日に隣の席の子へボケをして一気にクラスの注目を集めたというエピソードが残っています。 この“瞬発力”は、中学でも健在でした。

“ツッコミ力”の原点は中学時代にあった

中学時代のきむらバンドさんは、ただボケるだけでなく、 相手の言葉を拾って返すツッコミのセンス も磨かれていきました。

こうした能力は、後の「たくろう」でのツッコミ担当としての強みにつながっています。

この時期の経験が“芸人としての土台”に

中学時代のきむらバンドさんは、 「笑いは自分を守る武器であり、人とつながる手段」 という感覚を自然と身につけていました。

この経験が、高校でのバンド活動、大学での落研、そして芸人としての活動へとつながる“根っこ”になっています。

たくろう・きむらバンドの小学校は非公表

たくろうのきむらバンドさんの出身小学校は、公表されていません。

きむらバンドの小学時代のエピソード

小学時代は、のちの芸人としての“原点”がいくつも詰まった時期でした。

10歳まで過ごした 愛媛県北宇和郡鬼北町は、同級生が10人ほどという少人数の環境。

この“狭い世界”が、きむらバンドさんの笑いの感性を大きく育てています。

少人数だからこそ「面白い=ヒーロー」になれる環境

鬼北町の小学校では、誰かが少しでも面白いことを言えば、すぐにクラス全体が盛り上がるような雰囲気でした。

きむらバンドさんはその中心にいて、 「笑わせれば場が明るくなる」 という感覚を自然と身につけていきます。

松山市へ転校、初日にいきなり人気者に

10歳のとき、松山市へ引っ越し。

環境が一気に都会へ変わり、クラスの人数も増えました。

それでも、きむらバンドさんは転校初日から持ち前の明るさを発揮。

隣の席の子に軽くボケを入れたところ、 その場が一気に和み、クラスの注目を集める存在に。

ただし、人数が増えたことで「アイツ調子に乗ってる」という空気が生まれ、いじめのターゲットになりかけたこともありました。

それでも、たまたま 2学年上にいとこがいたことで守られたというエピソードは、きむらバンドさんの人生の転機ともいえる出来事です。

“笑いは自分を守る力”だと知った原点

鬼北町で育った「笑いで場を明るくする力」と、松山市で経験した「笑いで自分を守る力」。

この二つが、小学時代に同時に育ちました。

後に本人が語る 「笑いって、生きる術でもあるんやって無意識に叩き込んでた」 という言葉の原点は、まさにこの小学時代にあります。

たくろう・きむらバンドの経歴やプロフィール

たくろうのきむらバンドさんの経歴やプロフィールを見てみましょう。

本名  :木村 太一(きむら たいち)
生年月日:1990年1月28日
年齢  :35歳(2025年11月現在)
出身地 :愛媛県松山市
身長  :170cm
体重  :60kg
血液型 :A型
職業  :お笑い芸人
事務所 :吉本興業
趣味  :ボートレース、木村拓哉さん鑑賞、ドライブ、ジャパハリネット
特技  :ギター、ベース、子供に最速で気に入られる事

きむらバンドさんは、木村拓哉さんの大ファンです。

SNSには、木村拓哉さんについての投稿がたくさんありました。

大学を中退してから1年間、NSCに入学するためにフリーターとして働いています。

2014年:NSC大阪校の36期生として入学。

同期に、「バッテリィズ」、「カベポスター」、ゆめっちさん(3時のヒロイン)などがいます。

相方の赤木さんは1年後輩(37期生)になります。

2016年:赤木裕さんと「たくろう」を結成。

たくろうの赤木裕さん(ボケ担当)は向かって左、右がきむらバンドさん(ツッコミ担当)です。

▶赤木裕さんの学歴や学生時代のエピソードについては、こちらの記事をご覧ください。

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たくろう・きむらバンドの学歴に関するSNSの声

たくろうのきむらバンドさんの学歴について、SNSでは次のような声が寄せられています。

  • 「松山中央→松山大学って、地元愛すごい。地元でスターになってるのも納得」
  • 「大学で落研に出会って人生変わるのドラマみたい。学歴よりストーリーが強い」
  • 「高校でバンドやってて、大学でお笑いに転向って幅広すぎる。器用さが伝わる」
  • 「中学の“笑いでいじめ回避”の話、めちゃくちゃ人間味あって好き」
  • 「松山大学中退でも、落研を復活させたのすごい。学歴より実績で語るタイプ」

きむらバンドさんの学生時代を振り返ると、音楽に夢中だった高校時代、落研で才能を開花させた大学時代、そして“笑いは生きる術”だと気づいた幼少期まで、どの瞬間にも人柄の温かさと努力がにじんでいます。

地元・松山で育まれた経験が、現在の軽快なツッコミや独特の世界観につながっていることがよく分かりますね。

これからも、たくろうのお二人がどんな新しい景色を見せてくれるのか楽しみに応援していきたいと思います。

・赤木裕(たくろう)| 光泉カトリック高校→京都産業大学
・エース(バッテリィズ)| 大阪府立泉尾高校(現・大正白稜高校)
・寺家剛(バッテリィズ)| 皇學館高校→大阪学院大学
・永見大吾(カベポスター)| 名張西高校(現・名張青峰高校)→三重大学
・浜田順平(カベポスター)| 清風高校→大阪市立大学法学部

 
最後までお読みいただき、ありがとうございました!