南場智子さんは、IT業界の先駆者として、DeNAの創業者であり、経営者として数々の革新を実現してきました。女性初のプロ野球球団オーナーとしても知られています。
この記事では、南場智子さんの学歴や経歴、エピソードについてご紹介します。
南場智子の学歴まとめ
南場智子さんの学歴は、新潟県立新潟高等学校を卒業後、津田塾大学学芸学部英文学科を経て、ハーバード大学大学院を修了しています。
小学校から大学までをまとめると、以下のようになります。
中学校:新潟市立宮浦中学校
高校 :新潟県立新潟高等学校
大学 :津田塾大学学芸学部英文学科
大学院:ハーバード大学大学院
南場智子の大学は津田塾大学学芸学部英文学科
南場智子さんの出身大学は、津田塾大学学芸学部英文学科です。
津田塾大学学芸学部英文学科(現:英語英文学科)の特徴は、英語の4技能(読む・書く・話す・聞く)を総合的に徹底して学び、少人数クラスで実践的な英語力を養成することです。
偏差値 :56~58
所在地 :東京都小平市津田町2丁目1-1
学校種別:私立
津田塾大学学芸学部英文学科出身の有名人は以下のようになります。
・山中章子(アナウンサー)
・梶浦由記(作曲家)
・戸田奈津子(映画字幕翻訳家)
・山村美智(女優)など
大学でも父の影におびえる
南場さんは、厳格だった父親から離れたくて津田塾大学に進学しています。
厳格だった父親には「学生運動をするな」「就職は父の言う通りに」「ボーイフレンドを作るな」と条件付きでしたが、東京に行けるなら「ハイ、ハイ!」の二つ返事だったということです。
東京に出て津田塾大の学生寮で生活を始めたものの、いつも父の影におびえていたそうです。
「門限は午後11時前後でしたが、アルバイトや遊びに行って遅くなると、その度に連絡がいっているのではないか、誰かが父のスパイなのではないかと恐ろしくなったり。東京の生活ではじける感じはありませんでしたね。」と語っています。
アメリカへ留学
父親から少しでも離れたくて、大学4年生のときに成績1位の学生に与えられる奨学金を使って、アメリカの姉妹校プリンマー大学に留学しました。
留学費用は父親に頼れなかったため、必死に勉強して大学から奨学金を得て渡米しました。
最初は留学に反対していた父親も、大学に乗り込んできた際に教授の説得を受けて納得したそうです。
父親との関係に変化
アメリカに留学してから父親との関係が変化したそうです。
留学中、父親と頻繁に文通をしていたそうで、そのやりとりを通じて父親を一人の人間として理解するようになったということ。
留学が終わったとき、ハワイのオアフ島で会う約束をして、2人で旅行を楽しみ、一緒にゴルフをしたり、お酒を飲んだりして、「気ままな旅が楽しかった」と話しています。
南場智子の高校は新潟県立新潟高等学校
南場智子さんの出身高校は、新潟県立新潟高等学校です。
新潟県立新潟高等学校は、東京大学や京都大学など、難関大学への合格者を多数輩出しており、新潟県内トップクラスの進学校とされています。
偏差値 :71~73
所在地 :新潟県新潟市中央区関屋下川原町2丁目635
学校種別:公立
新潟県立新潟高等学校出身の有名人は以下のようになります。
・伊藤聡子(キャスター)
・松井みどり(アナウンサー)
・花角英世(政治家)
・森達也(映画監督)など
高校時代の門限は午後6時
新潟高校時代の門限は午後6時だったそうです。
「模試で帰りが遅くなります」と言えば、父親に「模試を受けろなんて誰が頼んだ」。
水泳部に入って帰宅時間を聞かれ「分かりません」と答えれば「やめろ」と言われ、その日のうちに退部届を出したということです。「涙が出ますよ」と語っていました。
父親から離れる決心を
南場さんは高校3年生のお盆に、父親が少し優しい気持ちになっているかと思い、母親と一緒に正座して「東京の大学に行かせてください」とお願いしました。
しかし、父親の答えは一言、「いかん。新潟大へ行け!」の一言。
最終的には母親が「新潟大は男子が多い」といった話を2カ月かけて父親に刷り込んでくれたようで、ある日突然、父親から「津田塾大に行け」と言われたそうです。
南場智子の中学校は新潟市立宮浦中学校
南場智子さんの出身中学校は、新潟市立宮浦中学校です。
新潟市立宮浦中学校は、合唱に力を入れており、合唱部は全日本合唱コンクール関東大会で銀賞を受賞するなど、優れた実績があります。
所在地:新潟県新潟市中央区万代5丁目6-1
南場智子の小学校は新潟市立南万代小学校
南場智子さんの出身小学校は、新潟市立南万代小学校です。
新潟市立南万代小学校は、1964年の新潟地震で校舎が大きな被害を受けた経験から、防災教育に力を入れています。
所在地:新潟県新潟市中央区幸西4丁目1-1
厳格な父親のもとで育ち、子供の頃は直接口をきくこともなく、隣に正座をして黙ってお酌をしていたそうです。
「宿題なんてするな。ばかになる」が持論。毎回、宿題を提出せず先生に叱られていました。それでも成績を残せていたのは、集中力と負けず嫌いの性格があったからでしょうか
南場智子のプロフィールや経歴
南場智子さんのプロフィールや経歴を見てみましょう。
生年月日:1962年4月21日
出身地 :新潟県
身長 :不明
体重 :不明
血液型 :不明
兄弟 :姉
職業 :実業家、経営者
趣味 :読書、スポーツ観戦、旅行
特技 :英語力、論理的思考力
引用:南場智子 X
南場智子さんと初代オーナーの春田さん。
2024年に、横浜DeNAベイスターズがリーグ優勝したときの写真です。
商家の次男だった父親は教員から事業の道(石油卸売業の経営者)に進み、誰の下にも入らないような人だったようです。
体格は身長が182cm、体重が100kg超。絶対的な存在で、父親が「ノー」と言えば絶対に駄目。家族は父の言いなりだったそうです。
南場智子さんの夫は紺屋勝成(こうや かつなり)さんです。
紺屋さんはマッキンゼー・アンド・カンパニー時代の同僚で、後にUSENの取締役も務めました。
2011年にがんを患い、南場さんは看病のためDeNA社長を退任。その後、紺屋さんは2016年12月5日に53歳で亡くなっています
毎年、夫の紺屋勝成の命日に開催している紺屋大会。今年も紺屋の友人がたくさん集まってくれました❤️マッキンゼーの先輩の茂木さん、今年も楽しいお話をありがとうございました。暖かい夜でお庭も盛り上がってました♪ pic.x.com/t4Ai5dc8PZ
— 南場智子 (@tomochinski) December 5, 2024
1999年3月、有限会社ディー・エヌ・エーを設立。
高校や大学、就職先の選択も、ほとんど父親や周囲の価値観に従って決めていたと振り返っています。
自分の人生を「自分の尺度」で生き始めたのは、DeNAを起業したときが初めてだったと語り、「もっと早く自分の意思で選択していればよかった」と後悔していると明かしています。
2011年3月、横浜市や地元企業との協議を経て横浜DeNAベイスターズのオーナー権を正式取得、地域密着型経営を掲げ、ファン基盤の強化を開始。
2024年シーズンの観客動員数は235万5千人を突破し、26年ぶりの日本一達成に貢献しています。
・株式会社ディー・エヌー・エー代表取締役会長
・横浜DeNAベイスターズ 取締役オーナー
・デライト・ベンチャーズ 代表取締役
・デライト・キャピタル 代表取締役
Nintendo Museumやっと来れました。楽しかった!2時間じゃ足りない。また来ます。 pic.twitter.com/SI2ZVvozjT
— 南場智子 (@tomochinski) February 14, 2025
こんな投稿もありました!
とうとうやってしまった。久しぶりのカールとビール。今、幸せです。 pic.x.com/i7eohaom8X
— 南場智子 (@tomochinski) February 23, 2023
女性の起業家の中には力が入りすぎている方も多い印象がありますが(個人的な感想)、そんな中、いい感じで力が抜けていて、非常に明るくてユーモアのある方だと感じられます。
南場智子の学歴に関するSNSの声
南場智子さんの学歴に関するSNSの声を紹介します。
南場智子さんは、厳格なお父様のもとで育った経験が、現在の活躍の原動力になっているように思います。
まだまだ男性が多い社会ではありますが、これからの活躍を楽しみにしています。